本日のみことばから
 千葉大宮キリスト教会では,毎週の主日礼拝のために発行している週報にその日の 礼拝で説き明かされた大切なみことばのコメントを掲載しています。ここに6週間分のコメントを掲載します。ご一読下さい。       牧師矢澤新一郎
 
  
 5月20日 3月4日 



     2018年5月20日礼拝説教の骨子
                
使徒行伝28章1~31節
                        「全く自由に」

 パウロはエルサレムの神殿においてエフェソからやって来たユダヤ人からの悪意と誤解から暴動による迫害を受けた。彼はユダヤ議会の宗教裁判において死罪の判決を受けた。しかしエルサレムの千卒長に自分が無罪・冤罪であることとローマの市民権をもつ者であることを訴え、皇帝に上訴した。それゆえ、総督のいるカイサリヤに移されローマへ護送されることになった。時期は10月末日。カイサリヤを出発した船はリキヤ州のミラにおいてイタリヤ行きのアレクサンドリヤの船に乗り換えて地中海をイタリヤに向かった。ところが季節風のユーラクロン悩まされ一週間漂流した末にマルタ島にて難破した。しかし、276人全員が助かった。
 マルタ島において3ヶ月を過ごしたパウロたちは三ヶ月後マルタ島を後にして船でローマへ向かい、ローマへ着いた。
 ローマにおいてパウロが最初に行ったことはシナゴーグの主だったユダヤ人を訪問することだった。なぜなら、エルサレムのユダヤ人がローマのユダヤ人にもパウロが死罪に当たる者であるから死罪相当で対応をするようにという指示・指令が届いているかどうかを
確認するためであった。しかし、彼らからはパウロについての連絡は何もない。という返事が返ってきた。これは、現地・ユダヤでの
千卒長や総督の判断が無罪であったことからローマにいるユダヤ人に訴えてもローマ法やローマの権力者には歯が立たないだろうという判断をしたからだと考えられる。そこでパウロは今度は自宅に彼らを招きキリストの福音を宣べ伝えた。この中でパウロは特にユダヤ教は民俗宗教であるが、キリスト教は民族を超えた世界のすべての人々の宗教であることを話した。23節には「神の国を力強く証しした。」とある。神の国とは主イエスの十字架の死と復活によって成し遂げられた神の愛の支配・働きのこと。キリストがすべて人の復活・新生のために死んですべての人を神の家族・神の命を生きる者にして下さったこと。
これによってユダヤ人・イスラエルあるいはキリスト者だけが選ばれたのではなくすべての人が平等に選ばれ平和を永遠に生きることが出来るようにして下さったことをパウロは力強く語ったのだ。そして30節には「パウロは自費で借りた家に丸二年間住んで、全く自由に神の国を宣べ伝えた。」とある。58年から2年間は上訴の結果、無罪を勝ちとり全く自由な生活を保障され、神の国を宣教することに力を注ぐことが出来た。パウロは60年に殉教したことが伝えられている。しかし殉教は皇帝ネロによる迫害によるものであって上訴による殉教ではない。上訴は冤罪が立証され勝利した。自由は勝利によって勝ちとられた。この自由と宣教はローマのキリスト教化に大きな影響を与えたのである。  
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             2018年3月4日礼拝説教の骨子
                
使徒行伝19章1~40節
                        「エペソでの闘い」
 このエペソでの宣教は今までの宣教地では一番長く2年にも及んだ この間にパウロはこれまでになく多くの人々を入信に導くことができた。また、いくつもの教会をつくることが出来た。さらには街の書記官とも親しくなったし、街の議員たちとも友人となることが出来た。にもかかわらず、大きな迫害も起きた。それがこの地で起きた特徴的な問題として報告されている。
 まず、パウロがまだコリントにいたとき12人のアポロによって導かれた人々について記されている。パウロは彼らに聖霊を受けたかと問うた。返事はノーでした。そこでパウロは臨在の主イエスの十字架とよみがえりの愛を話しました。すると彼らはその場で聖霊となられたよみがりの主イエスに出会い聖霊に与りキリスト者となった。アポロの授けた洗礼はヨハネのバプテスマの洗礼であった。イエスの洗礼・すべての人々の死と復活によってもたらされた聖霊による洗礼を受けたのである。
 次ぎにエペソの祈祷師と魔術師についてしるされている。彼らは好意的に言えば、現代版精神科あるいは精神内科の医師に該当する。パウロは我らの死を担い聖霊となられた主イエスの愛を悩み苦しめる人々に説き彼らの友となった。多くの人々がいやされたとある。それを見た祈祷師や魔術師が聖霊の名によって猿まねをした。ところが主の信実によってもたらされた神の愛と力を知らない彼らの猿まねは悪霊から笑いものにされてひどい目にあわされた。これを知ったエペソの人々は怖れて主の御名を賛美し、その結果福音宣教の広がりと力の増加を見ることができた。
 エペソにはアルテミス神殿があった。それはそれは大きな神殿(43×103)であり出産と五穀豊穣に御利益のある神殿であった。街にはこの神殿の銀細工模型をつくる業者が多くいた。ところがパウロが「手で造ったものは神ではない」と説いたために神殿の銀細工が売れなくなってしまった。そこで業者たちはこのままではこの仕事の評判が悪くなり商売はあがったり、神殿もないがしろにされてしまう。そこで口々にアルテミスは偉い方と叫んで街を大混乱に陥れた。彼らはパウロを探して血祭りに上げるつもりであった。ところがパウロが見つからなかったためガイオとアリスタルコを捕らえて野外劇場になだれ込んだ。パウロも野外劇場に入ろうとしたが弟子たちと街の議員である友人たちに止められた。しかしそのとき街の書記官が割って入り、このままだと街は暴動罪に問われることになる。パウロたちは神殿を荒らしたのでもなければアルテミスを冒涜したのでもないから、街の正式な裁判所に訴えなさい。そうすれば街は騒乱罪で訴えられることもなく正式な裁判によって結論が出るわけだからこの場は解散するようにしなさいと説いて騒乱は終わり、迫害は終わった。
 人が造ったものは神ではない。しかし人がつくったお金は神に変身する。原発は神ではない。しかし儲かる原発によって人の命がないがしろにされている。これが日本の現実である。脱原発。

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